Category : あの頃ぼくらは若かった。

3度やってきた女子プロレスブーム

戦後、国民に力を与えた力道山から、アントニオ猪木の新日本プロレス、ジャイアント馬場の全日本プロレスがシーンを引っ張った時代、そして前田日明率いるUWFの格闘技路線、武藤・橋本・蝶野の闘魂三銃士に三沢光晴らによる全日本四天王プロレスと、低迷期もありながらプロレスは定期的にブームを迎えていました。現在は他団体乱立の時代となっていますが、老舗・新日本プロレスが勢いを取り戻し、何度目かのブームを迎えています。

一方で、男子プロレスと同様に長い歴史を持ちながら、今ひとつ脚光を浴びることが少ないのが女子プロレスです。とはいえ女子プロレスも、3度の黄金時代を迎えたことがありました。

アイドル的存在となったビューティ・ペア

最初の女子プロブームがやってきたのは、1976年に結成されたジャッキー佐藤&マキ上田のビューティ・ペアによるものでした。アイドルのようなルックスに加え、「かけめぐる青春」でレコードデビューも果たし、試合前にはリング上で歌い踊るというスタイルが多くのファンを惹きつけました。

また、色物として男性から好奇の目で見られていたそれまでの女子プロレスとは違い、ビューティ・ペアの主なファン層は女性でした。かわいらしく、それでいて強い彼女たちは、若い女性たちのあこがれの存在となったのです。

ビューティ・ペアは、実は結成から3年という短い活動期間で解散してしまいます。シングル王者だったジャッキー佐藤に、マキ上田が挑戦者として、そして敗者引退をかけて挑むという衝撃的な展開となりました。この試合に勝ったのは王者・ジャッキー佐藤で、敗北したマキ上田の引退によりビューティ・ペアが牽引した第一次女子プロブームも終わりを告げます。

時代のアイドルユニットは格闘路線

続いてブームとなったのは、やはりペアで活躍した長与千種とライオネス飛鳥によるクラッシュ・ギャルズです。1984年に結成されたクラッシュ・ギャルズは、ビューティ・ペアと同様にレコードデビューなどもしていましたが、その人気は当時の女子プロレスにはなかった格闘技路線も取り入れた激しい試合スタイルと、ダンプ松本、ブル中野らの悪役ユニット・極悪同盟との抗争によるものでした。ただし、主なファン層は女性であったという点はビューティ・ペアと同様です。

クラッシュ・ギャルズの激しい試合展開は、それまでの女子プロレスとは違い、男子プロレスファンからみても十分に楽しめるものでした。クラッシュ・ギャルズ登場以降は女子プロレスの試合展開もどんどん過激なものとなっていき、以前のように女性ファンメインではなく、男女を問わずファンの目を引き付けるようになりましたが、クラッシュ・ギャルズ引退後は一部のプロレスマニアが見るだけの状況に戻ってしまいました。

生き残るのはどの団体!? 対抗戦ブーム到来

そしてやってきた第三次ブームは、特定の選手やユニットによるものではなく、他団体時代を迎えた女子プロ界の団体対抗戦によってです。かつては全日本女子プロレスしか存在していなかった女子プロ界ですが、1990年台に入ると工藤めぐみを擁したFMW女子プロレス、キューティー鈴木、尾崎魔弓、ダイナマイト関西らのJWP、神取忍をエースとしたLLPWと複数の団体が立ち上げられ、それらの団体のエース同士がぶつかり合うという戦国時代のような状況になります。

老舗にして、アジャ・コング、ブル中野、豊田真奈美、井上貴子、北斗晶といったスター選手を揃えていた全女の牙城をどの団体のどの選手が崩すのかに注目が集まりましたが、中でも北斗晶とLLPW・神取忍との遺恨試合は女子プロの枠を超える壮絶な一線として語り継がれています。

60代であればビューティ・ペア、50代であればクラッシュ・ギャルズ、40代であれば団体対抗戦時代の熱気は覚えているのではないでしょうか。浮き沈みが激しい女子プロ界ですが、アラフィフ世代であれば青春の一部として、記憶に刻まれているはずです。

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